カテゴリ:本( 6 )

鬼平犯科帳、再び

昨冬夢中になった、『鬼平犯科帳』。
最近、ホメオパシーの課題の本ばかり読んでいたので、ちょっと気休めに...と思って再び読み始めたのですが、元々時代劇好きな私は、またまたすっかりはまってます。

鬼平犯科長に限らず、池波正太郎の作品は、当時の江戸の情緒があちらこちらに登場し、現在のそれと比べながら思い描くことも楽しみです。
また食いしん坊の私は文中に登場する料理の数々についてもとても興味があり、時間があったら再現してみたいなぁ~と思うほど。
そう思うのは私ばかりでなく、四谷 万作で実際に再現されているそうです。
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本を読んでいるとお供してくれるのはいつもチイ。
邪魔することなく、私の膝の上にちんまりと収まり昼寝をするのも、チイの楽しみのようです。

梅雨らしい今日のような日は、読書に限ります。(って、ホメオパシーの勉強もしなくちゃいけないんだけど)

明日から21日までは、仕事&授業&セミナーで大忙しの毎日になりそうなので、休めるときにはしっかり休もうと思います。
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by livingwithcats | 2006-06-11 19:54 |

実はこんな本が好き

月末~月初の忙しい一週間が終わろうとしています。
この時期は一ヶ月の中で何とも慌しく、精神的にも肉体的にも疲れます。

そんなとき、この本を開きます。
この本、わるい本は、約8年前に本屋さんで一目惚れして買った本です。
主人公の『わるもの』と『うそつき』が成す、数々のわるい事。
本当にわるい事だらけの本なのですが、それでも時折心にジンとくる場面もあったりします。

仕事で色々あったり、また精神的にも不安定な時には、いつもなら何にも気にならないことが妙に気になったりすることもあります。
そんなとき怒りを爆発させたり、悪態をついたりすることも中々できませんよね。
そんな時にこの本を読んでは、わるものに自分の姿を重ねているような気がします。

読み終わると、あら不思議。
さっきまでのイライラが笑いに変わっちゃうのです。
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by livingwithcats | 2006-03-03 22:02 |

盲視ってナンダ?

今、夢中で読んでいる本、脳の中の幽霊に、『盲視』という言葉が出てきました。
盲目の『盲』に視覚の『視』で、まさに「見えないけど見えている」という意味です。

普通モノを見るのは目だと思いますよね。
でも目はあくまでカメラで言うレンズでしかなく、目から入った情報は視神経を通って脳の後方にある視質皮質に到達して視覚となるとうのが通説でしたが、実は正確には視神経を通じて入った情報は脳幹の上丘と外側膝状体へと別れ、外側膝状体に入った情報は一つは上述した視質皮質へと送られ、他は側頭葉と頭頂葉へと送られ、見たものが何であるか、形や色や距離などを瞬時に判断するそうなのです。

私の理解として、ここで出てくる視質皮質はスクリーンのようなもので、そこに損傷が起きるとスクリーン上にモノが映らなくても、目はそのモノの情報を処理しているので、「見えなくても見えている」という現象が起きます。
これが盲視なのです。
この本の中では、実際に片方の視質皮質に損傷を受け片側の視覚を失った患者に、見えない側でモノを動かしたりした場合にどういう行動をとるかという実験を行っていますが、この患者は見えない側のモノを動かすたびにそのモノに向かって正確に手を伸ばしたり指差したりしたそうです。
けれど、患者に見えたものについても、当然「何も見えません」という答えが返ってきます。
不思議な感じですよね。

ちょっと難しいですが、私たちが普段当たり前に『見る』という動作も、実はこんな仕組みなのだということを知るだけで、身体の神秘さを感じてしまいます。
ちなみにこのような仕組みが解明される以前は、頭の中に小人がいて、その小人が頭の中に映し出されたスクリーンを見ていると思っていた人もいたそうです。
それはそれでまた面白いですね。

盲視についてという、盲視について詳しく書いているサイトをみつけましたので、詳しく知りたい方は是非ご覧になってみてください。
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by livingwithcats | 2006-01-16 22:50 |

壬生義士伝を読み終わって

最後の最後まで泣かせる作品でした。

最後まで家族を想う吉村貫一郎。
最後まで父、貫一郎を想う長男の嘉一郎。
そして最後まで親友吉村貫一郎を想う大野次郎衛。
大袈裟なようですが、これぞ武士、これぞ日本男児と、誰もが心から思わせてくれるような人物でした。
貫一郎は常々、『南部の桜は岩をも割って咲く』と言っていたそうですが、この一言に南部の方の強さが秘められているように感じます。

そしてこの作品を通じて、土方歳三や斎藤一といった新撰組隊士へ抱くイメージも変わりました。
正直、私は新撰組が嫌いでした。
徳川幕府の単なる人斬り集団じゃないか、とさえ思っていました。
けれどそこに至る彼らの複雑な心中も少しだけど理解でき、これから少しずつ自分なりに調べてより深く知りたいと思うほど...です。

生まれたときから身分制度に縛られること無く、また飢えることも知らず、それを当たり前と思って生きてきましたが、今ある生活もたった150年前に命を張って国を変えてくれた祖先のお陰なのですね。

息子は大の土方歳三ファンなので、母子で新撰組の軌跡を辿る小旅行っていうのも、良いかもしれません。
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by livingwithcats | 2005-10-31 21:16 |

どっぷり壬生義士伝

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昨晩から読み始め、いつもなら熟睡状態の通勤電車の中でも読まずにはいられない程。
けれど、やばいです。
まだ150ページほどしか読んでいませんが、泣き虫な私はすでに3回泣きました。

読み進んでいくうちにかつて福島の友人が「坂本竜馬なんて大嫌い」と言ったこと、またこれは九州の友人から聞いた話ですが、その友人の知り合いの鹿児島の方が、福島の方と結婚する際に双方の家族が大反対したという話を思い出しました。
当時は疑問に思っていたこれらのことも、この本を読むことで分かるような気がしました。

150年と言えばそれほど遠くない過去です。
人生50年と考えても、たった3代昔のことです。
当事者が当時の恨み・憎しみを代々語り継げば、やはり深いものが残るのでしょう。

けれどこの本の中で元新撰組隊士の斎藤一が言っています。
薩長土佐も新撰組も同じなのだと。
誰もが皆、当時の日本を変えるために戦ったのだと。
そして脱藩した彼らには帰る故郷がなかったからこそ、国のために命を張ることができたのだと。
その想いを想像するだけで、悲しみで胸が一杯になります。

読み終わった感想はまた後日...。

写真の大福も泣き虫。
正しくは『泣き猫』と言うそうです(ホント)。
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by livingwithcats | 2005-10-27 21:04 |

最近夢中で読んでいる本

a0048862_22174667.jpgそれは浅田次郎の『壬生義士伝』。

これは新撰組の吉村貫一郎について書かれた本です。
新撰組は先日もNHKの大河ドラマとなったこともあるので、新撰組を知らない人はいないでしょう。
けれど吉村貫一郎?それ誰?という方は意外と多いかもしれません。
実は私もそんな一人で、この本を読むまではこの名を聞いたことがありませでした。

まだ上巻しか読み終わっていないのですが、吉村貫一郎の存在は私が今まで武士に抱いていたイメージをすっかり覆してしまいました。
幕府のために死ぬことさえを恐れないはずの新撰組隊士なのに、彼は「死にたくない。生きたい」とずっと願っていた人物です。
「私が人を斬るのは、人から斬られたくないからです」と後輩に言った言葉がとても印象的でした。
彼は家族を養うために待遇の良い新撰組に入隊し、家族のために生きた当時としては稀有な存在でした。

今の時代から想像もつかない描写が随所に見られますが、これは今からたった150年ほど前の日本の実像だということも私たちは忘れてはいけないと思います。
興味のある方は是非。
そしてハンカチをご用意することを忘れずに...。

人間の社会は大きく変わったけど、猫の社会はきっと今も当時もそう大して変わらないのでしょうね。
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by livingwithcats | 2005-10-26 22:23 |